第5話 この人じゃない

    お付き合いをしていた頃の話。彼女の部屋に泊まった日、一緒に寝ていると、夜中に急に目が覚めた。体は動かず金縛りにかかっている。さてどうしたものかと考えていると、ゆっくり、ギシ、ギシ、と階段を登ってくる足音がする。ちなみに、一階は大家さん、玄関が別になっていて、階段を登って二階を貸し間としているという作りだ。

 階段を登り終えた足音は、部屋の中に入ってきて、布団に近付いてくる。何か見てしまったらイヤなので目を瞑って寝たフリをした。それでも、とうとう足音は私の隣にたどり着いて、座り込んでしまった。

 隣に座ってから、数分経っただろうか。やがて、足音の主はゆっくりと、私の顔を覗き込んできた。5分、10分、ただただ、じっと顔を覗き込んでいる。ずっと寝たフリを決め込んでいると、ようやく足音の主は立ち上がり、部屋を去っていった。

 ちょっと気に掛かったのは、足音の主が立ち上がる直前「この人じゃない…」と聞こえた事だ。それ以降、お付き合いの相手とはだんだん疎遠になり別れてしまった。

 足音の主は、いったい誰で、この人じゃない、とはどういう意味だったのか。今となってはわかるすべもない。




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